映画:ジョーカーは秩序の在り方を問う。ネタバレほぼ無し感想レビュー
ハンデ持ちで仕事は不器用でしくじりまくりだが、市民として何とか普通に暮らそうとしてた青年「アーサー」が、殺人鬼「ジョーカー」になっていくストーリー。
そんな映画「ジョーカー」を先日見に行ったぞ~!
実際に見た人からも、「ヤバイ」「感化される人いるんじゃない?」と、けっこう物騒な話題で持ち切りだ。
これが、世界の秩序なら、その逆側にいる人達が自分達を守るため、力で持って壊しちゃっても、正義だよね?
という思いを抱きつつ、
さあ、話題の映画「ジョーカー」をこれから見よう!!
わくわく
— だいじん@ブログとゲーム (@daij1n) 2019年10月22日
僕も映画を見る前に気分を高めていったのだ。
ジョーカー:バットマンの敵キャラ
バットマントリロジーに出てくる「ダークナイト」「ジョーカー」で語ると、金銭的利益には目もくれず、楽しみのためだけに人をハメ、殺しに躊躇しないサイコパスだ。(僕が見てるバットマンは「トリロジー作品」のみなので、ここしか語れません)
頭がずば抜けて良く、幾度も自分の不利な状況を次々と逆転している。
後述するが、ダークナイトもとても面白い映画なので、ぜひおすすめする。
ネットだとhuluで10/31まで見られる!
「ジョーカー」は秩序を再考する:殺人は無差別ではなかった
大量殺人によくありがちな「誰でも良かった」ではなかった。
ジョーカーが行った殺人には、全て理由があり、彼は「己の秩序と正義」に基づいて殺人を行っていた。
誰を「意図的」に殺し、誰を「意図的」に殺さなかったか。
「人のハンデを『笑うな』」「いたずらに危害を加えるな」
これが、彼の正義であり、秩序だった。
その示し方だけ、極端だった。
映画の演出は「彼が秩序を築く点」で完璧だった
彼の殺人が突発的でないことは、映画で完璧に示されてる。
「誰を殺し、誰を殺さなかった」
それを判別する演出がある。
その時、殺した人はどんな人で、殺さなかった人はどんな人だったか。
また、彼はテレビで自分の殺人動機を発表する機会を得る。
その時、ジョーカーは自分で殺した相手ですら、相手側の落ち度を言わず適当な理由を言った。
結果的にそうなったのではなく、おそらく、「相手の落ち度を侮辱しない」という彼の秩序に基づいていた。
代わりにその秩序を話してる。
要約すると、「世の中の秩序って結局『こいつなら死んでも構わない』でしょ。それをこっち側に持ってきてるだけなんですよ」
ジョーカーにとっては「ハッピー」エンドだったかもしれない
「人生は近く(主観)で見ると悲劇に見えても、離れてみるとそれは喜劇」
チャップリンの言葉らしい。
ジョーカーも前半は「人のハンデを『笑うな』」「いたずらに危害を加えるな」の反対側の秩序(一般的な秩序)に悩まされ、我慢をして不幸だった。
足取りも重い。
後半は「人のハンデを『笑うな』」「いたずらに危害を加えるな」の己の秩序に基づき、体、足取りも軽やかになっている。
そして「秩序の逆側にいる人は、こちらにとって『死んでも構わない相手』『命は選別される』」という客観的視点を得たことで、彼自身は幸せだったのかもしれない。
心だけなら僕らも「ジョーカー」
「こいつ死んで良かった(笑)」「これは殺すほどのことか?」
僕らも、よくよくこういう感想を抱く時がありますよね?
「自分の秩序に基づいた命の選別」
ジョーカーは、ただこれを自分の秩序に基づいてマジで実行しちゃっただけなんですよ
一般的な秩序
仕事でしくじり続けるやつ、社会的にハンデを抱えた人間は。
「我々に笑われ続けろ」
「我々が行う暴力的干渉は耐えろ、ただし、我々への暴力的干渉はするな」
これが僕らの秩序なんですよね。
虚実入り混じる演出はメッセージの読み手を妨害する
この演出により「被害妄想があった」「元々おかしな奴」「自分が酔いしれたかった」など様々な理由が付けられ、殺人動機はますます「僕らには理解しがたいもの」というものになった。
(理解しちゃいけない)
考察:どの部分が妄想か
個人的には下記ではないかと見ている。
- こいつは極度な妄想がある、という説明するための妄想
- アーサーの心情の切り替わりを示す妄想
- 群衆に称えられ、持ち上げられる妄想
ただし、彼の1件を契機に暴動が起こったのは妄想ではない現実だと思う。
秩序とは究極的には「死ぬべき相手の選別」:映画「ダークナイト」ジョーカーの社会実験
大ヒットした映画「バットマントリロジー」の2作目に「ジョーカー」が出てくる「ダークナイト」という映画がある。
今回は「そのオマージュだ、オマージュではない」という意見をよく聞く。
オマージュしたかどうかは分からないものの、このダークナイトにも「ジョーカー」が仕掛けた「命の選別」の社会実験があるんですよ。
『ダークナイトの「ジョーカー」とは違う』という解釈は見える部分ではそうだと思う。
しかし、この「ジョーカー」という作品は「ダークナイト」に出てきた「ジョーカー」の思考に焦点が当てられており、「もし、バットマンはいない世界のジョーカーだったら」という
映画「ダークナイト」のジョーカーの「秩序の社会実験」概要
「いわゆる現在の社会の秩序の中にいる人達」と「社会の秩序に離れて捕まった囚人達」がいます。
お互いにどちらかを一瞬で全滅できる力を持っています。
時間制限があり、タイムオーバーはどっちも全滅。
どちらかが先に全滅しないと、確実に自分たちの側という事態に陥った時、先に大量殺人を決定するのは、どちら側の人達なんでしょう?
この実験が、思惑通り成功したかどうかは映画「ダークナイト」を見て欲しい。
huluで映画「ダークナイト」他、バットマントリロジーを10月まで見られるぞっ!:2週間無料
上記でいうジョーカーのメッセージ性だけでなく、バットマンのアクションものとしても十分に面白いので、個人的にはオススメです。
2週間無料(最初の登録)で見られるということは、まぁ、無料で見られるってことですなっ。
ビデオオンデマンド(VOD)素晴らしい!
最後に:社会はどうあるべきか
この映画から社会はどうあるべきかを問う声も多い。
個人的にはよく言われる「社会福祉」は解決には至らないと思う。
仮にカウンセリングと投薬が継続していても結果は変わらなかっただろう。
最もセンシティブで社会に能動的かつ挑戦的な人間に、力を与えるべきではない。
アーサーも、銃さえなければこうならなかっただろう。
彼は暴力少年からリンチを受けても一切、殴り返さなかった人だ。
そして「『自分はしょうがない』と色々諦めて」「プライドも捨てて」涙のピエロでいるべきだった。
多分これが、僕ら側の秩序から出しえる答えだと思う。
そして僕らの善悪を基準とした秩序に疑問を持たせないのが、重要なのさ。
おまけ:銃の存在
「銃は身を守るのに必要だ」
「しかし常時、集団から暴行を受けるような弱い奴は、銃なんか持つな」
とか、インフルエンサーが言ってくれないかなぁ。
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