考察「100日後に死ぬワニ」ワニくんの死因は青信号で横断歩道歩行中に交通事故の可能性
漫画「100日後に死ぬワニ」の更新が終了した。
描かれていたものは危なげのない、何の変哲もない平和な日常だが、タイトルが「100日後に死ぬ」ということもあり、そこら中で話題になっていた。
「危なげなビジネスに手を出す」「ブラック企業にパワハラ上司が現れ……」「重い病気にかかり……」ということもなく、平和な日常が99日まで続き、次の日に突然死ぬ。
結局、最近よくあるSNSを使った漫画・イラストプロモーションの一環であることが分かったが、今回はそれについては特に述べずに死因のみ考察していこうと思う。
100日目の死んだ時の情報量が限られているため、個人的な考察をしていきたいと思う。
まだ見てない人はねとらぼでまとめられているので、こちらで一気に読める。
なお、本が出版され4/8発売予定、後日談などが掲載とのこと。
ワニくんの死因は交通事故:ネズミくんの送った画像と時間から
「100日後に死ぬワニ」
100日目 pic.twitter.com/r0Idn9I7mR— きくちゆうき (@yuukikikuchi) 2020年3月20日
「確実にワニくんは死んでいる」ということが前提でその「3枚目の画像」をよく見ると、色々と状況が分かる
- 1コマ目、ヒヨコが歩いている。この時、信号が横断歩道で渡る側は青(車側が赤)だというのが分かる。
- 2コマ目、ワニくんの体とヒヨコをよく見ると、車道側から歩道側へ勢いよく動いているのが分かる。(スピード線が見える)
- 3コマ目、特に情報なし
- 4コマ目、ネズミくんが送った画像がある。時系列は2枚目のネズミ君が取った写真と同じ時系列である。
- おまけ:4枚目はおそらくネズミくん視点。この先にワニくんが死んでるはず。
2枚目の画像でネズミくんが送ったテキスト「よくね?」が3枚目では消えているが、これは作者のミスの可能性が高い。
それを踏まえてこの画像を見てみよう。(タップすると拡大表示します)
矢印は車の動き、黄色がヒヨコの位置。
ここから「ヒヨコが危ない目に遭い、ワニが身を挺して助けた」というシナリオは描きにくい。
ということで「横断歩道の×地点で跳ねられ、斜めにヒヨコ方面に吹っ飛ばされた」と考えられる。
さらに話題の池袋の暴走事故レベルで、赤信号の割には、スピードを落とさず突っ込んだ可能性が高い。
よって、この交通事故の様子はワニくんは「ながらスマホ」で横断歩道を青信号で渡っている途中、暴走車に跳ねられた、と僕は考えた。
なぜここまで人気が出たのか考察:生きる価値と死ぬのは一瞬
100日後に終わりが必ず来ると分かっているならば、普段の何気ない平和な日常の大切さが分かるから。
「その何もない平和な日常には価値がある」だと思う。
これが、冒頭の「危なげなビジネスに手を出す」「ブラック企業にパワハラ上司が現れ……」「重い病気にかかり……」などの「もうこいつ死ぬんじゃないかな」系だったりした場合はここまで共感を得なかっただろう。
ワニくんが普通の善人であり、周りの関係する人たちも皆善人である日常だからこそ、価値を見出せた。
これこそ、最も分かりやすい「生きる価値」である。
そしてもう一つ死ぬのは一瞬であるということ。
何の前触れもなく訪れることがある。そして「事故は死んだ本人の過失がなくとも起こりうる」という事実である。
おまけ:かつてブログで自殺する日をカウントダウンした人がいた「無への道程」
今から10年ぐらい前に話題になったブログで勤労意欲を無くして、残りの貯蓄が尽きたら死ぬことを宣言したブログ「無への道程」というのが、今も存在している。
約1年間ほど悠々自適の生活を送って最後の宣言通り、更新は途絶えた。
自分が一番欲していたもの…
それは、生きる目的や意味だったように思えます。
頑張って生きても死ねば全て終わり。
その虚しさから開放される術を欲していました。
生きるのが無意味でなければ、希望を持てて過酷な労働にもある程度は耐えられる。
月何百時間と残業を要求するキチガイ企業でなければ。
すごくシンプルな思考で「働かなければ生きてはいけない」「働けないなら死ぬ」「働くことに疑問を持ったので死ぬ」というもの。
死生観について、よく考えさせられる。
全然関係ないけど勤労意欲を失せさせた業界って、どこのうちの業界だよ、と見てみたら見事に同業者さんで、当時ちょっと笑った。
最後に:生きる意味は死生観による
生きる意味はどうやったって、自分でしか見つけることができない。
己の死生観について考えてみるのが良いのではないでしょうか。












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