表現の不自由展騒動に関する「税金の使われ方議論」は論点がおかしい
表現の不自由騒動について「税金の使われ方議論」が活発に行われている。
中でも論点がおかしいと思われるのは「国を貶める表現に税金が使われるのはおかしい」という意見。
そもそも税金は「公共の福祉」のために使われるべきであり、そこに「国策と違うから」「国の主張と違う」で判断されることが間違いではないのか?
今回の騒動を述べた上で、「国を貶める表現に税金が使われるのはおかしいのはおかしい」ということを書いていきたいと思う。
表現の不自由展騒動
このブログが詳しいが、韓国の従軍慰安婦の少女像がカラーになって置かれている、天皇制への疑義というだけっぽい。
公金は「自由の保全」「安全保障」「公共の福祉」「国際協調」に使われるべき:市長コメントがダメで知事がOKな理由
公金は「自由の保全」「安全保障」「公共の福祉」「国際協調」に使われるべき。
なんでって聞かれても、そう憲法に書いてあり、日本の政治体系がこれだから。
という理由。
(インフラ整備や基本的人権の尊重は個人的な解釈により「公共の福祉と自由」内に収まることが前提)
払いたくない税金を支払わなければならない正当性はここにしかない。
ちなみに、この中でも公共の福祉は自由を制限できる事項であり、かなり強い影響を保持する。
エロ表現が規制されるのは「公共の福祉に反する」という判断からだ。
この前提で話すと名古屋市長と愛知県知事のコメントの良し悪しが分かる。
名古屋市長のコメントはテロを非難するどころか、便乗している
ブクマコメントの通り。
テロを非難するどころか、便乗したコメントは、『税金の使い方』の議論としての立場で言えば、極めて不適当。
「いかなる理由があってもテロ側のメッセージを受け付けない」
は国民の安全のためのテロ対策の一つである。
一方で愛知県知事のコメントは真っ当だった
政治家のコメントからすると極めて真っ当。
「芸術に行政はコミットしない」と前置きした上で「安全面を配慮した結果」というコメント。
全く関係ないけど「ガソリン携行缶」はしばらく犯行予告に使われそうね:京アニ事件の模倣
京都アニメーションの放火事件を模倣してるんだろうけど、今回「ガソリン携行缶」の言葉が使われたとすると、しばらくはこの事件はおもちゃにされそうね。
公共性を無視した安直な「税金の使われ方議論」は次を否定する結果となる
「国を貶める表現に税金が使われるのはおかしい」を公共性を無視した「税金の使い方・無駄遣い議論」と称して述べると次のようになる。
図書館:国策に反する資料はNG?
今回の安直な意見をそのまま当てはめると、NG。
国立博物館:画策に反する資料展示はNG?
今回の安直な意見をそのまま当てはめると、NG。
国公立大学:国策に反する研究はNGか?
今回の安直な意見をそのまま当てはめると、NG。
おまけ:国政に参与できない「天皇制」は税金の無駄遣いか?
この手も「税金の使い方議論」であれば、これも愚論にできない。
(もちろん、無駄遣い論は、あっても良いと個人的に思うが「公共のための税金論者」の視点で愚論とさせてもらう)
天皇制は「公共の福祉内」
天皇は日本、並びに日本文化の象徴である。
誰の興味もない廃れてる日本古来の国家儀礼を今も守り執り行っているのが何よりの証拠。
ゆえに、「公共の福祉内」に天皇制はあり、この立場を取るなら天皇制の税金無駄遣い論は愚論と言える。
(ただし、皇室の振る舞いが公共の福祉内にあるうちは、という前提)
これは、その他の事項にも言える。
最後に:税金を払う立場から言わせてもらえば「公共の福祉に使え」が正しいのでは?
ゆえに「これは公共の福祉に当たるかどうか」が最大の論点なはずなのに「国策と違うものに公金いれるな議論」は的外れではないかと、思う



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