「今日も叶いましたよ」への模範解答と自殺問題の解決策について:一人で死ね論争
BLOGOSの「志らくさんの願い 今日も叶いましたよ」という記事が話題だ。
個人的に、僕も自殺するなら誰も巻き添えにせず一人で死ねべきじゃん論者なので、ここで模範的な回答を主張していきたいと思う。
まず、これに関する解答は。
「えぇ、自殺は残念ですが、無関係な人が巻き添えに犠牲になることがなくてホッとしてます。あなたは誰か巻き添えに犠牲になった方が良かった人ですか?」
「あぁ、自殺を決意した人の人生を肯定できず、否定する人なんですね。」
模範じゃないかな。
自殺者を一括りにすることは自殺者への冒涜
この赤木氏は自殺の55名を一括りにしてることが、自殺問題への思慮の浅さが見える。
病気に苦しみ自殺を選んだものもいる。
仕事、経済的な理由で自殺を選んだものもいる。
自殺は一人一人の問題。
全部ひっくるめて「自殺は絶対いけません」はその自殺者一人一人の尊厳を無視している。
赤木氏の該当記事は誰か犠牲に巻き込んだ方が良かったみたい?
年間約2万人。それを365で割って一日あたり約54.8人。そのほとんどが他人を巻き込まずに1人で自殺をしています。仮に誰かが他人を巻き込む事件が1件起きたとしても、その他の54人程は、他人を巻き込んでいません。
きっと、立川志らくさんの人情味あふれる、被害者に寄り添うお言葉が通じたのでしょう。きっと志らくさんも「やったー、私の言葉で55人の人が、他人を巻き込まずに1人で死んだぞ!」とお喜びのことと存じます。
それならば、この方は平均他人を一人巻き込んで100名ぐらいの死者が出れば喜ぶんだろうか?
全く無関係の他人が巻き込まれなくてよかった、と思うのは普通だと思うけど?
「身勝手な理由で他人を犠牲に巻き込むな」はテロへの社会からの声
まだテロが盛んだった頃、こう伝え教えられたはずだ。
「いかなる理由があったとしても、身勝手な理由で他人を犠牲にしてはならない」
「そんなテロの理想を聞く理由はない」
今回もそれに倣っている。
「一人で死ね」の正体の結論はまさにこれだ。「テロリストの心情には寄り添わない」という意思。
少なくとも今回の川崎の殺傷事件で、被害者より犯罪者の肩を持つ意図は僕には分からないね。
暴力の寛容は暴力を拡張させるという事例:社会福祉は暴力を守れない
それは前回の記事で書いた。
https://www.daij1n.info/entry/syakaihukushi-hitorideshineron-190602
ちなみにISの外国人の構成国も先進国は軒並みヨーロッパの社会福祉国家。
そういうことだよ。
類似した犯罪の防止は、社会福祉的な制度ではなく、社会からの遮断、防衛が必要が効果的だと思う。
もう綺麗事「社会が積極的に動くべき」「相談しろ」という言葉は無力ということに気づこう
よく言われる「痛ましい事件の背景をよく考え、社会が考えるべき」という言葉。
で、「もう絶対に自殺しないでください」で終わる言葉。
ニートの問題も自殺対策も、問題が世間で盛り上がり始めてもう20年は経過した。
何度聞いたよ、同じ言葉。
8050問題は社会は引きこもり・ニートを改善できなかった証
引きこもり・ニート対策を社会はするべきだ論が登場して、そろそろ20年。
結果、何もできなかった(もしくはやったんだけど効果がなかった)のが引きこもり・ニートが長期化して8050問題と呼ばれるようになったのが「今」
引きこもりの若者が存在していたがこれが長期化すれば親も高齢となり、収入に関してや介護に関してなどの問題が発生するようになる。これは80代の親と50代の子の親子関係での問題であることから「8050問題」と呼ばれるようになった
自殺と景気(失業率)の相関関係:自殺は景気の波でしか解決されていない事実
この分かりやすすぎる自殺率と失業率の相関が示すのは「社会の手助け」や「声を聴く」といった綺麗ごとが、いかに自殺に対して無力なのかを示している。
「社会はあなたに手を差し伸べる」「相談しろ」という言葉は貧困ビジネスを助長してきた
貧困ビジネスとは「支援」と称して、セーフティーネットが必要な人を囲い込み、色々と中抜きをしていくビジネス。
「NPO法人」だったりするのでイメージから、騙されてしまう人が多い。
特に支援を利用して何とかしよう踏ん張る人を利用するタチの悪いビジネスは存在する。
誰かに相談すれば、という世迷言
今回の川崎の殺傷事件は第三者のヘルパーに相談したことがトリガーになり、発生した。
これが現実。
「誰かに相談すればよい」
しか考えられない人は、
「人と適切なコミュニケーションを取るぐらいなら死ぬ」
人の存在を知らないのだろう。
行政も相談を受けた結果「介入しないのが良い」と言っている
自殺志願者は「自殺しちゃダメ」という言葉に苦しんでいる実態
死にたいのに死ねない事で苦しんでいる人は多くいる。
何故自殺は止めることばかり推奨され賛美されるのか。
何故自殺を勧めることばかり反対され嫌悪されるのか。答えは至極簡単である。
私たち社会のごみであっても、一部の搾取する側にとっては金のなる木だからだ。
自殺志願者に言われてるぞ、綺麗事しか言わない連中。
そして事実、綺麗事しか言わない連中は、何か自殺志願者に対して施したのだろうか?
実際、自殺対策なんてものは、誰かの収益の種ぐらいにしかなってないだろう。
こんなものが出るぐらいだし。
社会に必要なのはドロップアウトせずにギブアップするプロセスでは
社会の枠組みとして「ギブアップ」つまり、自分の人生の終了を決められる方が良いのでは。
まずは尊厳死から認めてはどうだろう。
つまり、「自殺できる条件」を定めていく。どんなタイミングで、どういう状況で、など。
そして「どういう形で死ぬのか」を計画する。
この利点は下記の通り。
- 他人を巻き添えにしやすい「衝動的自殺」を抑えて「計画的自殺」に転化できる
- そして他人を巻き込む事件にすることもなく、自ら死を決めた人の人生を肯定できる
まぁ、大方「働けなくなったら死んでいい」ってなりそうだけど、社会的にギブアップが認められる社会では自殺カウンセラー、プランナーとかいう職業が出てきそうね。
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