経済格差の根本的な発生原因は、競争ではないと思う
僕が学生の頃は、それこそ「市場原理」に任せた「自由競争主義」の肯定こそ善、という政治の風潮であったが、その時も「競争の結果としての格差は致し方なし」という感じだった。
「競争があるから、格差ができる」それは当然の事として、じゃぁ、格差の根本的な原因は競争であるか、といったら違うと思う。
つまり、競争が完全になく、滞りなく全員に経済が平等に回っても、格差は発生すると思っている。(もちろん、競争「有」に比べるとずっと小さい格差ではあるけれど)
根本的な原因は「貨幣」だと思う
僕は、格差発生原因は貨幣の持つ要素だと思う。
貨幣の要素は下記の通り。
- 万人に信用のある価値
- 持ち運びが可能で他人に容易に譲渡できる
- 蓄財性
このうち「蓄財性」が大問題となる。
- 企業は儲けたお金のうち、自身の内部留保を「マイナス」にした分を社員に給料として支払う
- 社員は給与でもらったお金のうち、自身の貯金を「マイナス」にした分を消費に回す
- 二つのマイナス分の貯蓄分はその全部(100%)が投資に回るわけがない
その分(投資に回らなかった双方の内部留保分)が市場から減退し続ける。そこで、中央銀行(日本だったら日銀)がこの「マイナス」部分をうまく調整しないといけない。というのが経済の仕組みになっているはず。
ただし、これら「マイナス分」を見極める方法があるのかというと、事実上不可能。そして各種出そろった指標を見てから調整を行うので、どうしても対応は後手後手になる。
経済評論家の言う、おかしい中央銀行や金融政策の不要論
金融政策がうまくいかないのは、こうした人々の活動の結果のマイナス分を見極めることが事実上不可能だから。各指標を見ながら判断するにせよ、万人の行動で生まれるマイナス分を考慮した金融政策はできない。(特に投資は投資心理が大きく影響するから数値化ができない)
だから金融政策も中央銀行も不要というトンデモ論を出す経済評論家もいる。
しかし、上記で述べている、何もしなければ「競争が発生しない世界を前提としても、上記というマイナスサムな経済市場になる」ことを考えれば、市場経済の見極めは不可能であっても、その何らかの調整役は必須ということが分かる。
金は天下を回らないのだ!
最後に:おかねほしい
金は天下を回らない世界。
それは
必ず、誰かが損をしないといけない世界。
競争は大きな格差の要因であるが、根本的な要因ではなく、「貨幣」が存在する限り、競争はなくても格差は発生する。だから、平等を目指した社会主義とて、貨幣があるから、格差が存在するのである。
世の中、平等がありえない。
僕はお金ほしい。
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