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言語学クラスタの方角ミス指摘による魏志倭人伝の解読がTwitterで話題!邪馬台国はどこだ?

2021-01-08日記・コラムコラム,歴史

新年早々、興味深い話題をツイッターで見つけた。

魏志倭人伝の古代の言語学アプローチによる、各所の比定とルートの決定。

今までの議論であった方角に関するミスへ日琉祖語研究からの指摘である。

邪馬台国は奈良周辺を比定している。(邪馬台国畿内説)

「nesi」の意味の取違えに関しては、おそらくこの辺りの解説は日琉祖語研究しているこの人のNoteが詳しい。

(1) 琉球諸語と中央日本語の比較から,日琉祖語の名詞 *nesi (> 中央 nisi【西】,琉球祖語 *nesi【北】,沖縄語 /niɕi=nu ʔumi/【東シナ海】)は【季節風の方向】という原義を持っていたと推定される。

(2) 漢語話者である魏書の記録者は,恐らく半島日琉語に最初に接触したと考えられる。したがって,韓半島では季節風は南向きに吹くので,恐らく半島日琉語の *nesi の同源詞は【北】の意味だと誤まって解せられたであらう。

興味深いのは日琉祖語の音韻「nesi」は風向きによって制定されているのではないかという推定。


画像は気象庁|報道発表資料より

これにより、半島では「北」が起点になる風向きが、日本人にとっては「西」が起点になるので、そのまま記述を行えば実際の方角を間違える。

魏志倭人伝の倭人からの伝聞による「南」は「東」となる可能性が出てきたことである。

さらに、邪馬台国に属さず対立していた国「狗奴国」は、発音から「久努国(現:静岡県の一部)」ではないかとしている。

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想定されるルートで探る邪馬台国の場所:神戸周辺か?:歴史ロマン

邪馬台国の比定には「九州説」や「畿内説」が存在しており、今も決着していない。

せっかくなので倭人伝聞の際に実際に風向きを間違えている説を採用して、水行日数を計算。

このブログでどの辺りに邪馬台国がありそうか、予想してみるとする。

隋書より倭人は距離に里数を使わない=日数部分は倭人からの伝聞の可能性

隋書の倭人伝によれば「夷人不知里數但計以日(倭人は距離に里数を使わない。日数で計る)」

里数で示されている部分は、魏からの使者が実際に行った場所。

それ以外は倭人の伝聞の可能性が高い。

つまり、最初にある使者が辿ってきた道の方角は正しく、倭人からの伝聞部分は冒頭記載の音韻による方角の間違いであるという説をそのまま採用する。(日数の水行箇所は南→東になる)

【参考リンク】

水行1日の距離について:野生号実験により

この魏志倭人伝のルートを解明すべく、古代船を模した実験が行われている。

これによると野生号は1日23km。

その他のケースからも1日最大25km前後が妥当ではなかろうかと推測されている。

【参考リンク】1日の航行距離と航海日数より

水行を東に向かったと想定1:投馬国を出雲と想定した場合

南至投馬國、水行二十曰。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。

里数表記で最後に水行が終わるのは松浦国(現唐津を想定)。

この船を使うことを想定する。水行は20日。これを東に行くと想定する。

さらに投馬国は古代出雲地域を想定、その中でも、米子周辺を想定する。(当時の鉄器文化の中心地)

画像は日本沿岸最短距離計算より(唐津~米子間)

日本海側から降りるとして、唐津から境港~米子海上の距離を計算すると232~246マイル(最大約455km)

水行は1日辺り23kmなので、ちょうど20日分に相当する。

つまり、この線でいけば投馬国は古代出雲国。

水行を東に向かったと想定2:畿内説想定の邪馬台国は神戸周辺か?

南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。 官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。

畿内説を想定して邪馬台国へそのまま東に進むとする。

降り立つ場所は若狭湾の天橋立辺りを想定する。(大体この辺りだろうという決定)


画像は日本沿岸最短距離計算より

海上の距離を計算すると122マイル(約225km)

1日辺り23kmであれば、10日目で到達する。

国名がないのが気になるが、実は「まだ投馬国内」かもしれない。様々な神話の中心地になり、鉄器文化を取り入れてた一大勢力なら、ありえるかもしれない。

(後述するが、米子周辺地域・丹後半島地域は畿内より早く鉄器文化が取り入れられたと見られる地域である)

肝心なのは陸行一月の方向が分からない。

「このまま東に進むとしたら、船から降りないはずなので、南に進むしかないでしょう」という考えでそのまま南に行くことを想定する。

隋書の倭国伝にはこうある。

其國境東西五月行南北三月行各至於海

南北だと三月かかる。つまり、南に全体の三分の一程度の距離を比定すれば良い事になる。


地図はGoogleマップより。矢印は丹後半島の北から和歌山県の南までの距離を三分の一にしたもの。天橋立付近から引いてみた。

天橋立から、古代一月の陸行とされる距離を単純に当てはめると「神戸」になる。

邪馬台国は神戸周辺の可能性がある。

神戸周辺に卑弥呼との関係を匂わす遺跡について:西求女塚古墳

であるならば、神戸周辺に卑弥呼との関係を匂わす遺跡があるはずだ。と、思ったら……本当にあった。

西求女塚古墳(神戸市)

1992年(平成4年)から1993年(平成5年)にかけての第5次調査では、邪馬台国の卑弥呼が魏の皇帝から贈られた鏡ともいわれる三角縁神獣鏡7面など計11面の銅鏡(第1次調査の1面とあわせて合計12面)が出土したことで注目を浴びた。

ウィキペディアより

いやぁ、これは本当にありえてしまうかもしれませんなぁ。(わくわく)

交易ルート:大陸-出雲-丹後

天橋立付近の丹後といえば、弥生時代には鉄器が盛んであることが分かっている。

また大陸との交流を伺わせるものもあり、丹後王国に言及されている場合もある。

最近いわゆる古代「丹後王国」の存在についての議論が盛んである。大陸や半島、北九州や他の日本海地域との交流などを窺わせる豊富な副葬品や、鉄とガラスの他地域に先駆けての先進性などを考えると確かに「王国」の存在を窺わせるに足る十分な条件を備えているように思える

丹後半島の旅 – 邪馬台国大研究

鉄器は畿内よりも早い時期に導入されていたらしい。

科学する邪馬台国:神戸新聞の切り抜きより

古代出雲も鉄をいち早く取り入れ大陸文化との交流を示す遺跡も多い。(米子・安来付近)

この地図は、出雲の国・島根半島です。鉄器の出土は、一世紀頃から三世紀頃のものが発見されています。丁度、中国東北部に起源を持つ「四隅突出型墳丘墓」の出現と同じ時期に当たりますので、高句麗あたりからの渡来人たちが鉄器文化を持ち込んだと見られます。鉄器伝来の時期は九州よりも遅れていますが、弥生後期の出土量では勝っています。

下記のリンクでは、丹後も「投馬国内」としている。

すきえんてぃあ氏について:Youtubeで各地域の古語研究を披露している研究家であり、着ぐるみ趣味である

趣味でやっているのか分からないが、アジア周辺言語を中心に様々な世界中の古語・方言に精通している研究家。

自己紹介動画:ヒュムノス(ゲーム「アルトネリコの人工言語」)も話せる

ここで、40以上の言語を独学で学んでいることが分かる。

年齢は……31歳か!(若い!)

着ぐるみコスプレの趣味もあり(VTuberのキズナアイ・アズマリムなど)

たまに趣味の着ぐるみコスプレ動画があがる。こちらはvtuberのアズマリム。

おつおつおー!

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古代言語学からのアプローチからの歴史ロマンに思わぬ一説

趣味ですごい研究をしている人がいるものだ。

古代言語学からのアプローチによる方角の読み間違いの指摘という、日本の邪馬台国の謎に別角度から迫る展開にドキドキした。

今後の進展に期待したい。

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