道徳の授業の問題のニュースは「無償の愛」の意味を履き違えている可能性
何やらNHKクローズアップ現代+の番組の中で、道徳の授業で「お母さんの家事にもお金を払うべき」という子供の意見が「家族の愛は無償なので払わなくていい」という答えに消されてしまった、というニュースが話題だ。
一連の流れがまとめられていた。
道徳の授業で「お母さんの家事にもお金を払うべき」という子供の意見が「母の愛は無償」という教えにかき消された瞬間 #クロ現 – Togetter
この流れで個人的に違和感を感じた部分を整理していきたい。
無償の愛の考察:無償=無料?
「無償の愛」は見返りを求めない自己犠牲的な愛のことである。
そこに「無償=無料」が本当に成り立つであろうか。
無料=「0円」であり、「0円」は価値であり「1円」などと同系列の価値との比較が可能。
もし、「無償の愛」が損得勘定の全くない、『コスト』『報酬』という価値を度外視するものであった場合、「価値という概念」がそもそも存在しないため、これら価値の比較や表現は無意味である。
一言で言えばプライスレス。
よって無償の愛の価値は「0円、1円」という価値とは別次元の価値であり、「0円、1円」のような価値で表そうとしたこの教科書自体の内容が誤りである。
気持ちの授業なのに気持ちで解決しようしない問題
無償の愛とは損得勘定ではなく、気持ちの問題である。しかし、ここにおいて、気持ちの返し方に帰結していない点が気になった。
無償の愛を受け取ったものは、与えたものに感謝しましょう。
そして、それが絶対に当然のものと、驕らないようにしましょう。
これが道徳だと思った。
ちなみに、これであれば「お金払ってあげたい」といったあの少年の「感謝」が正解になる。
まとめ
- 損得勘定できない事項について、損得の価値を使った講義を行おうとした事が最大の問題である。
- 気持ちの問題は気持ちの返し方で帰結した方がいいと思う。
- 無償の愛は当然であるという驕りは非道徳的だと思う。
今回の無償の愛を説明しかり、何らかの前提となるものを定義づけて説明していないと、今後も何かと問題がおきそうだなっと思った。
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